A
宮内 いずみ
A. 天国の日々
素材・技法:油彩、アクリル、インクジェットプリントデータ、キャンバス サイズ:サイズ可変
B. 一日
素材・技法:油彩、アクリル、インクジェットプリントデータ、キャンバス サイズ:H135×W162cm
担当教員によるコメント
宮内いずみの絵を見ていると、どこにも属さない意思のあらわれが、二次元の平面上に広がりをもって存在しているように思える。どこにも属さないとは、「〜ために」とか「〜ねばならない」といった一つの枠組みを想定するような言葉が、意識に上がってこない状況である。それは大きな物語(イメージ)を追いかける行為ではなく、異なった複数の断片的なもの(他者)を、結果として縮約させていく行為である。別の言い方をすると、自分とは異なった他者から、また違う他者へと乗り換えを繰り返していく行為(運動性)が自分自身の喜びになること。ひとつの場所に留まり過ぎることで起きる閉塞感、そこから逃れるためにしくじりながらも複数の場所を渡り歩き、その都度、他者との関係性によって別の自分に出会えるように。宮内の絵画からは、観念的なイメージ(かたち)よりも、生成変化としての運動性が目に強く入ってくるのである。
准教授・栗原 一成
担当教員によるコメント
宮内いずみの絵を見ていると、どこにも属さない意思のあらわれが、二次元の平面上に広がりをもって存在しているように思える。どこにも属さないとは、「〜ために」とか「〜ねばならない」といった一つの枠組みを想定するような言葉が、意識に上がってこない状況である。それは大きな物語(イメージ)を追いかける行為ではなく、異なった複数の断片的なもの(他者)を、結果として縮約させていく行為である。別の言い方をすると、自分とは異なった他者から、また違う他者へと乗り換えを繰り返していく行為(運動性)が自分自身の喜びになること。ひとつの場所に留まり過ぎることで起きる閉塞感、そこから逃れるためにしくじりながらも複数の場所を渡り歩き、その都度、他者との関係性によって別の自分に出会えるように。宮内の絵画からは、観念的なイメージ(かたち)よりも、生成変化としての運動性が目に強く入ってくるのである。
准教授・栗原 一成