常に淡々と制作に向きあってきた溝田君。この貫かれた表現への強い希求から生まれた「Complex521(The bombing in 91’)」。この作品が発する絵画としての圧倒的な存在感は、表層的な探求からだけでは決して辿り着くことができない、自分を取りまく社会、世界、そして私たちがかかえる歴史、この部分に常に真摯に向きあってきたからこそ到達し得たものである。そしてこの作品でもう一つ重要な点が表現と画材の関係である。溝田君はこれまでもカシューを多く使用してきたが、卒制ではそこにさらに大量のステッカーが加わった。描く者にとって画材の選択には内なる必然性が重要であるが、見る者にはその画材の存在を特別に感じさせない表現ほど、絵画として、時や場を超えなお一層開かれた表現になっていく。まさにこの作品はそこに向かう大きな一歩となったのである。
担当教員によるコメント
常に淡々と制作に向きあってきた溝田君。この貫かれた表現への強い希求から生まれた「Complex521(The bombing in 91’)」。この作品が発する絵画としての圧倒的な存在感は、表層的な探求からだけでは決して辿り着くことができない、自分を取りまく社会、世界、そして私たちがかかえる歴史、この部分に常に真摯に向きあってきたからこそ到達し得たものである。そしてこの作品でもう一つ重要な点が表現と画材の関係である。溝田君はこれまでもカシューを多く使用してきたが、卒制ではそこにさらに大量のステッカーが加わった。描く者にとって画材の選択には内なる必然性が重要であるが、見る者にはその画材の存在を特別に感じさせない表現ほど、絵画として、時や場を超えなお一層開かれた表現になっていく。まさにこの作品はそこに向かう大きな一歩となったのである。
教授・日高 理恵子