ゆっくりと、そして確実に歩き出せ

いよいよその時が来た。そう、教室やアトリエでモニターの画面を介してではなく、直接顔を会わせて語り合いそして学ぶ「私たちの多摩美」のあるべき姿を取り戻す第一歩が。
 ただ以前の様にすべてが元に戻れるわけではない。いや、今私たちがすべきことは戻ろうとすることではなく、つねに更新される世界と対峙し、自らの強い意思を持って、まったく新しい日常をデザインしなければならないのだ。

本学は4月以降、今回の感染症に対応すべく新たな委員会を立ち上げて取り組んできた。それは『オンライン対応委員会』『留学生対応委員会』『PNN(Promotion Committee for New Normal)委員会』の3つの委員会である。それぞれは全研究室、全事務組織、そして学外の専門家からなるタスクフォースだ。もちろんかつてない事態への対応のため、始動当初は学生の君たちに、不安や不満を抱かせてしまったことは素直にお詫びしたいと思う。留学生の皆さんに対しては、オンライン授業の充実と相談対応などにより、出来る限り不安な気持ちを取り除くための努力を今後も続けていくつもりだ。そして未だ入国が叶わないこの状況の好転を祈るばかりである(文部科学省への働きかけも続けていく)。

しかし、新たな視座が見えてきたのも事実である。手探りから始めたオンラインでの授業も、面接授業では得られない「遠いけれども近い」感覚は予想外の収穫であり、今後のさらなる可能性も感じられ、よりブラッシュアップされていくだろう。また学内だけでなく、国内外の関係機関との交流も活発化していき、アトリエや教室の実習とのハイブリッドな授業構成も考えられる。

さて、ここからが難問である。人は誰しも危機的状況においてそれを受け入れず、「なかったこと」にしようとする心理が働く。しかし-緊急の事態-が解除されても、見えない敵はいなくなったわけではない。私たちを取り巻く全てに潜んでいると言っていいだろう。いやそう思うことがこの闘いの第一歩であり、その意識を共有することで守られる場所がある。そう、それが私たちのキャンパスなのだ。
 『PNN』は感染症の専門医のもと、アトリエ、教室、また図書館や食堂などの施設をくまなく調査し、各学科の委員は詳細に対応マニュアル(学科の特性によってそれぞれ違う!)を作成し準備をしてきた。しかし、いくら完璧なマニュアルもそれを運用する私たち一人ひとりの意識と行動によって、守られるべき場所が簡単に崩れてしまうことも忘れてはならない。

しかし、恐れてばかりでは新たな日常は始まらない。私たちはいかなる状況下においてもポジティブに向き合うことを決意した。次に君たちがキャンパスに戻る時、「KEEP! DISTANCE」のサインが目に入るだろう。もちろんこれは予防のためのスローガンではあるが、仲間としての「切り離すことが出来ない関係を保つ」という意味でもある。NoやDon’tなどのネガティブな言葉は使わず、前向きに新しい多摩美の日常を創造しようではないか。もちろん、様々な理由からすぐには登校できない人もいるであろう。それも決して焦る必要はない。引き続き基本的な授業体制はオンラインで行い、それぞれの状況に合わせてサポートをしていくので心配はいらない。

また委員会の活動とは別に本学は、君たちに対する経済的支援もできる限りの努力をしている。それはこのコロナ禍の影響のなか、経済的困窮によって学習の継続が止まることがないようにすることがもっとも重要だと考えているからだ。このたびその考えに賛同してくださった校友会から多額の奨学金の寄付をいただいた。校友会会長のメッセージにあるように、在学生を思う気持ちは教職員だけでなく、卒業生の皆さんからも、強くそして篤いエールを送っていただいていることも忘れてはならない。

最後に、いささか唐突ではあるが75年前の多摩美について語りたい。1945年5月24日、米軍の大規模な空襲によって上野毛にあった当時の本学校舎は全て灰となった。その後の敗戦の打撃と廃墟と化したキャンパスの状況から、多摩美の復興は絶望的だった。しかし、出陣した学生が終戦後、次々とその焼け跡に戻り復興を切望した。その想いに押され、全く何もないところから新たな多摩美の再建は始まった。今の多摩美が突如としてあるわけではない。先人たちの苦労、そして綿々と続く先輩諸氏の学びの積み重ねによって私たちの今がある。だからこそ勇気を持って歩みを続けなければならないのだ。

1年生の諸君、お待たせした。君たちは新しい多摩美の原動力だ。これから4年間をかけて、多摩美生としてのプライドを培ってほしい。
 上級生も教職員も君たちを歓迎する。

そして今、キャンパスの木々の緑が溢れている。
 生命の喜びがある。

君たちの未来は明るい。

2020年6月19日 多摩美術大学 美術学部長 小泉俊己

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